臓器移植に関する私見

報道に対する疑問

先日、男児の6歳未満の子供が脳死と判定され、10歳未満である女の子に臓器を提供したことが話題となりました。
ニュースでは「体に合う大きさの臓器の提供がなく、今まで日本で移植を受けられなかった手術のできない重い病気の子どもの患者などに、新たな道を示した」と沢山報道していたが、私自身は少々疑問が残ったのです。

脳死判定の問題

確かに、臓器の提供を待つ病気の子どもの数は多いです。
両親の希望も切実なものでしょう。
だが、そう簡単に脳死と判定され、すぐに臓器を提供できるものなのでありましょうか。
脳死は脳の活動が一切なくなってしてしまった状態のことを指します。
その他の臓器はまだ生きているため、髪の毛や爪も伸びるし、汗もかきます。
傍から見ればとても「もう亡くなってしまっている」とは思えないというのです。
まして脳死と判定された子どもの両親にしたら「思いたくもない」というのが現実なのではないでしょうか。

さらに、事実子どもの脳は大人の脳に比べてみると非常に元に戻ろうとする力が強く、脳死を正確に判定できるのかが問題となっています。
子どもが不幸にも事故(または病気により?)脳死判定を受けてしまったのです。
そんなときに、コーディネーターと名乗る人が来て臓器提供を迫るのです。

コーディネーターとは

コーディネーターにはドナーコーディネーター、レシピエントコーディネーター、組織移植コーディネーター、そして骨髄移植コーディネーターと様々あります。

ですが、基本的な仕事としては臓器提供病院に行く、臓器提供候補者やその家族と会って承諾手続きなど臓器提供に関する一連の手続きを調整する医療専門職の者のことを指します。
臓器提供候補者の医学的な評価を行い、家族に臓器提供に関する情報提供したりするのです。
臓器提供の手術などのすべてを管理して、提供された臓器を移植病院まで搬送などが仕事です。
臓器提供は「体が生きている」うちに取り出さなければならないために、「少し時間をください」などという猶予は与えられません。
その場で決断を迫られる遺族にとっては身を切られるような決断でしょう。

昔、ある本に書いてあった表現によると、遺族にとって「その光景はハゲタカがむさぼりにきたようだ」といいます。
提供を承諾するや否や、何人もの医者が体を取り囲み、臓器を取り出したということでしょう。
臓器を待っている人のためとはいえ、残された家族にこのような印象を与えてしまう臓器移植は、「まだ希望があったかもしれないのに」と、より悲しみを大きくしてしまうのではないかと思ってしまうのです。

難しい問題

よく、「いざというときのためによく話し合いを」なんていうフレーズも聞くんですが。
テレビを観ながらこたつでくつろぎ、「提供してもいいと思う」と言った台詞をそのときになって鵜呑みにしてもよいものなのでしょうか。
また、「臓器移植は人生最後のボランティア」などという言葉も見かけるが、遺族にとってはボランティアどころか、「もう少し待つべきだったのかもしれない」という後悔を持たせてしまう結果になりかねません。
大変難しい問題であるとは思うが、私自身は、6月のニュースより、簡単に道が開けるとは思えないのです。